かつては、一般的にスピリチュアルと言われていることに
興味のある自分がいた。
UFOとか、魂とか、霊とか、天使とか、いろいろ。
どうして人は、見えないものに興味があるのか。
そして、その存在に惹かれながらも、どうして
また否定もするのだろう。
自分もまた然りだった。
自分の疑問を解決するために、いろいろな
スピリチュアル本を読みあさった時代があった。
あれは、自分が大学生の頃だったな。
チャネリングできる人がすごく見えたり、何かを悟って
いそうな人がすごく見えたり不思議なパワーを持っている
人が、うらやましく思ったりもした。
人は、理解できないもの、見えないものに対して、
恐怖と好奇心を同時に抱く。
一般的に見えないことが、見える人や、普段聞こえないものが
聞こえる人に対しても、恐怖や畏怖、そして好奇心を抱く。
でも、見えないものが見えることや、聞こえないものが
聞こえること、また不思議な力を持っていることと、
スピリチュアリティーは、実は全く関係がない。
私は、見えないものが見えることや、聞こえないことが
聞こえる人をうらやましく思ったから、それを克服
する必要があった。依存心を作ってしまっては、
いけないからだ。
依存する心は、人をコントロールすること、また
自分がコントロールされることへとつながる。
多くの宗教がそうなっているように。
克服するためには、自分が知らなければ、体験しなければ
ならない。そうして、自分の真実を見極めることでしか
答えはでない。そう感じた。
あやしい宗教と呼ばれるようなところにも顔を出してみた。
引き込まれる心理状態なども体験から学んでもみた。
見えない存在の声を届ける方、チャネリングをする人達にも
会ってきたし、セミナーなどにも参加してみた。
ブラジルでは、スピリットそのものにも会ってきた。
実際に触れてきた。感じてきた。貴重な体験だった。
それら、豊富な経験からの結論がある。
スピリチュアリティーとは、一言でいえる。
「その人の生き様」だ。
この見える世界での、その人の生き様だ。
見えないものが見えても、見えなくても、聞こえないものが
聞こえても、聞けなくても、それは関係ない。
どっちだっていい。
スピリチュアルな人とは、
自らもまた、自からの苦しみを乗り越えて来た人達。
苦しんだからこそ、相手に共感し、相手のことを思い、
寄り添うことができる。
その人生には、喜怒哀楽が凝縮されている。
そうした経験から、自分がなぜ生まれてきたのかを
自分の中に気づいていて、周りに何が起こっているのか
を客観視している。
決して、無理を強いることなく、他人を依存させたり、
他人に依存しない姿勢を保ち、凜としている。
日常では、愛情に溢れ、自分を愛し、人を愛し、
周りの人達を愛し、また、この世界を愛し、
そして、周りの人達のために生きる。
また周りのために生きることが自分のためだと
知っているから、他人にする好意に対し、
自己を犠牲に思うことはない。
一方で、この世界に生きる意味を分かっていながら、
子供のように純粋に驚き、楽しみ、悲しみ、
苦しみ、そうしてすべてを受け入れている。
自分の強さも、また弱さも。弱音もはく。
生と死を含んだ自分に起こるすべてをすべて受け入れ、
淡々と感謝しながら毎日を過ごしている。
そういう人がスピリチュアルな人だ。
ところで、スピリチュアリティーとは何か特別なこと
ではなく、その人、その存在そのものなのである。
そして、その存在を運ぶもの、それが体だ。
体はスピリチュアリティーも含めて、
その人の人生を運んでいる。
体に触れると言うことは、その方のスピリチュアリティー
にも触れると言うこと。それを自覚していることは、
実はとても大切なのである。



![ロルフィング&ボディーワークス [BLOG]](../images/title/title_blog.jpg)
