最近は、体の持つ癖について理解を深めている。
人には性格があるように、性格に特徴があるように、
体にもまた、体の持つ性格=性質がある。
そして、それらの性質の持つ特徴=骨格がある。
野口晴哉はそれを体癖論として残しているが、私も
これに賛成している。
彼は1~12種までの体癖と、その心理的、考えや行動パターン
を分類しているが、その観察眼は見上げたもので、
天賦の感覚としか言いようがない。
彼の書物を読んでいると、彼のいわんとしていることが
少しずつではあるが、はっきりと見えてくる。
骨格の持つ性質が分かると、その性質から出てくる体の歪み
や、行動のパターン、考えのパターン、ストレスの溜め方
などが見えてくる。
そう考えると、人は皆、それぞれの世界を持っていて、
それぞれの骨格の特徴の範囲で考え、反応し、
行動していることが分かる。
野口晴哉は、人の思考や心理状況などを、その人の背骨を
見ることではっきりと分かったという。
死期もちゃんと体には書いてあるのだ。
骨格が、考え方や、行動パターンを決めるのであり、
ストレスを溜めるときにも、それぞれの骨格に特徴がある。
また、その発散するときも然り。
ストレスが溜まると、骨格の歪みが増し、ある時点でたまった
ストレスをエネルギーとして発散しなくてはならない。
思考を使ってストレスを発散する人もいれば、
体を動かしてストレスを発散する人もいる。
発散できないと、体のシステムが働く。その発散する身近な
症状が風邪なのだ。
そうして、人には、溜める→発散と、行動周期なるものが
ある。自分も実際そうだなあと思う。
骨格=カラダに疲れがでると、考え方や
心理状況にそのまま直に影響していることになる。
私もまた、自分という骨格の範囲内での可能性を伸ばして
いるわけで、骨格=特徴には長所も短所もある。
そう考えると、私たちは、骨格の持つ性質や特徴に
すべての思考パターンや行動パターンが写しだされて
いることになる。
だから、カラダとこころは一体なのだ。
カラダが変われば、こころが変わる。
私たちのカラダは、骨格は重力に対し、立っていなくては
ならない。心もまた命に対し、ポジティブでなければ
続いてはいかない。心が折れてしまったら、
体をも支えていられなくなるのだから。
さて、体癖がその個人を限定するのであれば、
それが限界と思うかも知れない。
しかし、体癖はあれど、その先を行くことができる、
と私は思っている。人の可能性は無限だからだ。
その可能性をさぐっていくのが、私にとっては、
ロルフィングだと思っている。
ロルフィングは、重力に対し、その人の骨格が最も
力を使わなくてよい、バランスの取れた場所に
落ち着くように体を統合していく。
いってみれば、体癖いかんに関わらず、いつでも
骨格の軸を安定させ続けるにはどうすればよいか、
ということを日常で実践していくことになる。
この中心に軸が通っているときの感覚を保てるとき、
体癖を超えたパターンが生まれると思うのだ。
言い換えると、その個人の最大限のポテンシャルを
発揮することにつながっていると思う。
その可能性を追い求めていくのは、楽しい。
人の可能性をどこまでも追求していくという
魅力を持っている。
私は、これから、この体癖というものをもっと理解していこう
と思う。これをロルフィングに取り入れれば、西洋と東洋の
施術が融合できると思う。
しかし、道は続くのだなあ。一つを理解しても、また一つ
別のものがでてくる。それらを一つにして捉えられるように
なるまで、まだまだ旅は続くようだ。



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